真空管アンプの存在(その58)
絶対にあり得ないことと、はじめにことわっておくが、もし長島先生が、
バーンスタインよりもインバルのマーラーを高く評価される人だとしたら、
この項の(その50)、(その51)に書いた国産パワーアンプを、高く評価されていただろう。
私にしても、インバルのを好む耳(感性)をもっていたとしたら、
その国産パワーアンプの欠点には気がつかずに、「いい音だ」と満足していただろう。
インバルの演奏(音といいかえてもいいと思う)と、その国産パワーアンプの音には共通するものがある。
先に、ピアニシモの音に力がない、と書いたが、これに通じることでは、
音の消え際をつるんとまるめてしまう、そんな印象をも受ける。
それに力がないから、だらっとしている。消えていくより、なくなっていく。
だから、ちょい聴きでは、「きれいな音」だと感じるが、決して「美しい音」とは、私は感じない。
長島先生も、「美しい」とは感じられないはずだ。
この手の音を、「ぬるい」「もどかしい」と感じるところが私には、どうもあるようだ。