モノと「モノ」(その12)
いまはどうなのかわからないが、一時期、レコードのことを缶詰音楽といっていた人たちがいた。
もちろん、この缶詰音楽は蔑称であり、
この表現を使う人たちの多くはコンサートを、音楽鑑賞における最上のもの、絶対的なものとして、
レコードで聴く音楽(つまりオーディオを介して聴く音楽)は、
どこまでいっても代用でしかない、という意味が込められていた。
そんな使われ方をされてきた「缶詰音楽」だが、
この「缶詰音楽」という形態がほんとうに実現できれば、素晴らしいモノだと思う。
実のところ、缶詰音楽がよく使われていたころ(つまりLPの時代)にしても、
それがCDになっても、「缶詰音楽」とはいえないほど、複雑な仕組みの再生機器を必要とする。
缶詰は、缶の中に食べ物が詰められていて密閉されたものを指す。
つまり缶切りがあれば(最近では、その缶切りすら不要になっている)、
蓋さえ開ければ、その缶に詰められている食べ物はすぐに食べることが出来る。
さすがに手づかみで食べるわけにはいかないから、スプーンなり、フォークなり、箸を使うものの、
基本的には缶詰の中の食べ物を食べるためには、なんら道具を必要としない。
道具を使わないということは、そこでなんらかの処理を行う必要もない、ということである。
その点、缶詰音楽といわれても、実際にはLPにしてもCDにしても、
たとえばLPやCDを耳にあてれば、音楽を聴こえてくるわけではないし、
レコードが缶詰の形態をしていて、蓋を開ければ音楽が素晴らしい音で鳴り響くわけでもない。
LPならばレコードプレーヤーのうえにのせ、カートリッジを音溝に降ろして、アンプのボリュウムをあげる。
すくなくともこれだけの操作は必要で、レコードの溝がスピーカーから音として出てくるまでには、
実にさまざまな変換や処理がオーディオ機器のシステムの中でなされている。
しかも、そうやって出てくる音は同じではない。
缶詰は誰が蓋を開けようと、基本的には同じ味がする。
なのに缶詰音楽とよばれるレコードは、そうではない。
そうなるとLPもCDも缶詰音楽とは呼びにくくなるし、
LPやCDは「音楽の器」なのか、という疑問もわいてくる。