スーパーウーファーについて(その15・続×五 余談)
低音は土台であり基本である。
そして「型」だとも思う。
型(かた)は、武道や芸道、スポーツなどで規範とされる一定の体勢や動作であり、
これを身につけることから、武道、芸道、スポーツははじまる。
型を身につけるための精進を怠れば、結果はみえている。
武道の達人による型と、素人が見様見真似でそっくりにまねた型とでは、
それにだまされる人もいるかもしれないが、見る人がみれば歴然とした違いがあり、
見様見真似の型はすぐに見破られることになる。
構えという型であっても、つまり静止している型であっても、それほど違う。
そこに動作が加わった型であれば、違いはさらに歴然となり、大きく隔たったものになってくる。
武道で型を身につけずに技を身につけることは無理なはず。
オーディオにおける低音は、この「型」でもある。
型の完成というのがあるのかどうかは私にはわからない。
けれど必要なレベルの型を身につけなければ(これが基礎)、
そこから先は存在しないことと同じではないだろうか。
型を身につけ技を身につけ、型をさらに磨いていく。
型をこえていくためには型を身につけなければならない。
結局、型に始まり型に終る、ということなのだろうか。
そうだとしたら、低音に始まり低音に終る、ということになる。