何を欲しているのか(その20)
グレン・グールドのピアノしか聴かない──、
そんな音楽の聴き手が実際に、この日本にいるということを、
これも黒田先生が書かれていたことだと記憶しているが、いまから10年以上前に読んだ記憶がある。
また、ある人は、日本でグールド協会をつくったとしたら協会が教会になってしまう、といっていた。
これも10数年以上前のことだった。
グレン・グールドのピアノしか聴かない。
これを口にした人は、きっと誇らしげにいったのだろうと想像がつく。
グールドのピアノは、そしてグールドの存在そのものが知的好奇心を多いに刺戟することはたしかだ。
だからといってグールドのピアノしか聴かない、とそんなことを一度でもことばにしてしまうのは、どうかと思う。
もうそれだけでグールドの音楽から遠ざかってしまうことになってしまうかもしれない。
私もひところグールドを熱心に聴いていた時期があった。
そのころはグールドのレコードを聴いていた時間が、
ほかの、どの演奏家のレコードを聴いている時間よりも長かった。
それでもグールドだけを聴いていたわけではないし、
傍からみればグールドしか聴いていないように見えたとしても、
グールドのピアノしか聴かない、とはいわなかった。
グレン・グールドのピアノしか聴かない、
熱心なグールドの聴き手にそういわせてしまうようなところが、
グールドの演奏にも、グールド自身にもある。
いってしまうご本人は、かっこいいことを口にした、と誇らしげなんだろうが、
グレン・グールドのピアノしか聴かない、というフレーズには、
口にした本人の音楽の聴き方の窮屈さのようなものを嗅ぎ取れるところがある。
それにグールドは、グールドしか聴かない聴き手を望んではいなかったはず。