50年(その8)
それにしても、なぜ音から、こういう視覚的な感覚を味わえるのか、とずっと疑問だった。
同じレコードを同じ音、つまり同じ場所、同じ時間で聴いても感じとれる人と感じとれない人がいる。
同じレコードであっても、再生するオーディオの違い(音の違い)によって、感じとれないこともある。
感じとれない人からすれば、感じとれる人のことを、錯覚、という一言で片づけてしまえるだろうが、
感じとれる人にとっては、やはり同じように感じとれる人がいる以上、錯覚の一言で片づけるわけにはいかなくなる。
菅野先生のところで、違う時に聴いたふたりが、感じとっていたということは、
菅野先生の出されている音に、なんらかの視覚的感覚を刺激するものがあったのかもしれない。
なぜか、というその疑問に、ひとつのヒントが与えられた。
川崎先生が以前いわれていた「ロドプシンへの直感」であり、ロドプシンである。
このロドプシンが脳の一部である海馬と関係しているのではないか、ということを以前書いた。
いま川崎先生が、ご自身のブログで音に関係することを書かれている。
その中の23日のブログに、ロドプシンのことを書かれている。
聴覚と海馬とロドプシンが、どう関係しているのかが解明されれば、
オーディオの世界だけでなく、映像に世界においても、大きな変化・進化が訪れるのかもしれない。