オーディオの罠(その7)
《憧憬の念のうちに、実は少しずつ音は美化され理想化されているらしい》、
五味先生がそう書かれている。
五味先生だけに限らない、同じことを何人もの方が書いてこられてきた。
だから、頭では、そのことはわかっている。
わかりすぎている、ともいっていい。
それでも若いころ、憧れのオーディオ機器が一つ二つは、
どんなに人にもあったはずだ。
そんな数では足りない、という人もいる。
憧れのオーディオ機器。
しかも、その音を聴く機会がなかったオーディオ機器ほど、
それへの憧れは大きく増していく。
ずいぶんと年月が経って、憧れのオーディオ機器との出合いがあったりする。
昔とは違う。ポンと買えるだけの経済力もある。
ようやく憧れのオーディオ機器が手元に来た。念願かなってだ。
その喜びは、本人にしかわからないはずだ。
問題はここからだ。
冷静に音を聴ける人もいるし、ずっと憧れのままで聴く人もいる。
失望を味わう人もいるし、ずっと喜んでいられる人もいる。
思うのは、後者のオーディオマニアは、オーディオの罠におちているのかだ。