2022年の最後に
別項で「好きという感情の表現」を書いている。
「好きという感情の表現」を書き始めたときには、さほど意識していなかったけれど、
今年一年、あれこれあっておもうようになったのは、
好きは感情であって、好きと愛は違う、ということだ。
オーディオ愛、音楽愛、
これらだけでなく、他にも○○愛という表記は、よく目にするし耳にもする。
けれど音楽愛にしてもオーディオ愛にしても、
実のところ、好きという感情だけでなく、
感情すべてを削ぎ落としていった先にあるのではないのか──、
そんなことを考えるようになった一年だった。
誰かを好きになる。
それは、その人を愛しているのか。
そのことに疑問を抱くようになった。
誰かを好きになって、
その人に会いたい、とか、いろいろなことをおもったりする。
好きという感情、会いたいという感情、
その他、いろいろな感情を根こそぎ削り落としていけるのか。
削ぎ落としていって、何もなかったとしたら、
そこには愛はなかったのではないか──。
そんなことを考えるようになったから、
ひとつ前の「オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その15)」である。