Vitali: Chaconne in G Minor
TIDALのおかげで、今年も聴きたいとおもった録音の多くを聴くことができた。
聴きたいと思ってすぐに聴ける。
このありがたさを、私と同じ世代、上の世代の人たちは実感すると思う。
若い頃、聴きたいと思っても、そうそうすぐには聴けなかった。
学生だったころは、聴きたいと思っても、レコードをすぐには買えなかった。
しかもFM局は、私が住んでいた田舎はNHKだけ。
聴きたいレコードはあっても、そのうちのどれだけを買って聴けたのか。
環境によって大きく違ってくることだけに、そんなことはなかったという人もいれば、
確かにそうだった──、と頷く人もいる。
そういう時代を過してきただけに、
TIDALのありがたさは、増していくばかりだ。
TIDALのおかげで、ジャンルに関係なく、そして録音の古い新しいに関係なく、
聴きたいとおもった音楽を、すぐに聴ける。
もちろんTIDALにない曲もある。
それでも聴ける曲のほうが圧倒的に多い。
そうやって今年聴いたもののなかで、
私のなかでは一、二を争うほど印象が強かったのが、
ハイフェッツによるヴィターリのシャコンヌだ。
ヴィターリのシャコンヌは、ずっと以前に聴いている。
誰の演奏だったのか憶えていない。
ハイフェッツではなかったことだけは確かだ。
つまり、あまり印象に残っていない。
それもあって、ヴィターリのシャコンヌを聴いたのはほんとうに久しぶりのことだった。
ハイフェッツの演奏で聴けるから、聴いた──、
そんな軽い気持から、である。
ハイフェッツによる演奏を聴いたことのある人は、いまごろかよ──、というだろう。
自分でも、そう思う。
いまになって、この演奏をすごさを知ったのだから。
ハイフェッツのことは、歳をとるほどによさを強く感じるようになり、
好きになってきている。
そこにヴィターリのシャコンヌである。
まだ聴いたことがないという人は、だまされたと思って聴いてほしい。