所有と存在(その20)
音楽を手にする感覚、先日ソーシャルメディアで目にしたことばだ。
アナログディスクのよさをあらわすものとして、そこでは使われていた。
音楽を手にする感覚、CD登場以前からオーディオにめり込んできた者ならば、
それは日常の感覚といえる。
そこにCDが登場した。ディスクの直径はLPの半分以下になり、
両手で扱うLP、片手で扱えるCDでもあった。
ディスクのサイズの違いは、ジャケットサイズの違いでもあった。
当時は、あれこれいわれていた。
所有する喜びは、CDよりもLPが上である。
その意味でも、音楽を手にする感覚は、CDよりもLPだろうし、
TIDALなどで音楽を聴く行為には、音楽を手にする感覚はない、といっていい。
なので、音楽を手にする感覚という表現を目にすると、
そうか、この人は、音楽を所有できると思っている人なのか、とそうおもうだけである。
私は、何度も書いてきているように、
音楽も音も所有できないと考えている。