Date: 11月 12th, 2022
Cate: 所有と存在
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所有と存在(その20)

音楽を手にする感覚、先日ソーシャルメディアで目にしたことばだ。
アナログディスクのよさをあらわすものとして、そこでは使われていた。

音楽を手にする感覚、CD登場以前からオーディオにめり込んできた者ならば、
それは日常の感覚といえる。

そこにCDが登場した。ディスクの直径はLPの半分以下になり、
両手で扱うLP、片手で扱えるCDでもあった。

ディスクのサイズの違いは、ジャケットサイズの違いでもあった。
当時は、あれこれいわれていた。
所有する喜びは、CDよりもLPが上である。

その意味でも、音楽を手にする感覚は、CDよりもLPだろうし、
TIDALなどで音楽を聴く行為には、音楽を手にする感覚はない、といっていい。

なので、音楽を手にする感覚という表現を目にすると、
そうか、この人は、音楽を所有できると思っている人なのか、とそうおもうだけである。

私は、何度も書いてきているように、
音楽も音も所有できないと考えている。

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