あるスピーカーの述懐(その38)
あるスピーカーの音を好きになる。
そのスピーカーも好きになる。
スピーカーは道具である。
道具は使い手(ここでは鳴らし手)の力量に応じていってほしいもの。
好きなスピーカーが鳴らし手の力量とともに成長していくということはない。
モノだからだ。
だから鳴らし手は次のスピーカー(道具)を求めるようになる。
好きなスピーカーの延長にあるスピーカーを求めることもある。
たとえばロジャースのLS3/5A。
このスピーカーに惚れ込んだ者がいる。
LS3/5Aはよいスピーカーではあっても、サイズ、開発年代など、
それらによる限界もある。
限界を熟知して使いこなす。それもオーディオの楽しみなのだが、
LS3/5Aの音を、ぐんと格上げしてスケールを増した音を欲するようになったら──。
LS3/5Aの次のスピーカーは同じか、といえば、そんなことはない。
人によって、そうとうに違ってこよう。
ここでも、耳に近い音としてLS3/5Aの次のスピーカーを欲する者と、
心に近い音としてLS3/5Aの次のスピーカーを欲する者とでは、
大きく違ってきて当然である。