「複雑な幼稚性」(その10)
読み解くという行為は、読み手側に、その書き手との共通認識があってこそできることであり、
これをおもしろいと思うのか、面倒臭いと思うのか、は人によって違う。
とにかく時間を必要とする行為であるだけに、辛抱の足りない読み手は、
曖昧さを拒否し、わかりやすい表現をもとめる。
だが抽象的な音の表現にわかりやすい表現はあるのか。
しかも共通認識なしに、はっきりと伝えられる表現はあるのか。
少なくとも音色に関する表現では、まず無理だろう。
共通認識があるように思えている言葉でも、意外にも人によって使い方はまちまちであることは、
あるていど、音の表現について集中的に読んできた人なら理解されているはず。
このことは、(その6)に書いた「承認」がえやすい音、「わかりやすい」音と関係してくる。