「複雑な幼稚性」(その6)
他者からの「承認」がえやすい音とは、いいかえれば「わかりやすい」音である。
なぜ、わかりやすい音のスピーカーが登場してきて、増えてきているのか。
それはオーディオ評論がもつ「曖昧さ」「恣意性」と関係しているし、
これらをなくそうとしようとすることから、生れてきたのかもしれない。
かたちのない音を、言葉で表現することの難しさは、だれもが痛感していることだろう。
この難しさがあるから、面白いといえるのだが、同時に誤解も生じている。
わりと多く使われる音の表現でも、表現する側はいい意味で使っていたとしても、
受けとり手によって、否定的な意味に捉えられることは、別に珍しくもない。
いわゆる「文学的表現」に近くなればなるほど、誤解の生じる可能性は高くなる、といってもいいだろう。
書き手の能力も読み手の能力も、より問われるからだ。
ならば、即物的な表現、そっけない表現の方が、誤解は少なくなるだろう。
さらに数量的な表現となれば、もうすこし詳細に伝えることもできるようになるだろう。