続々続・毎日書くということ
テーマはいくつもあるのに、ときに書くのにひどく苦労する日がある。
なぜか、と思って振り返えれば、そういう日の多くは、書いては消し、をやっている。
文章が気に入らないから、消す。
なぜか、といえば、感情がこもっているから。
演奏や歌で、「感情をこめて!」と音楽の先生が、生徒に向って注意する、という、
映画や小説などで、よくありそうなシーンだが、
「感情をこめた」演奏や歌は、ほんとうに名演奏なのか──、聴く人の心を打つ、とは私は思っていない。
演奏家や歌手に求めたいのは「心をこめた」演奏なり歌である。
感情をこめているようでは、文章もダメである。
こめるのは「心」であり、私が「この人の書いたものはすべて読みたい」と思った人たち、
川崎先生、黒田先生、瀬川先生、そして五味先生の書かれる文章は、
その人ならではの「心」がこもっていた。
私は、まだ未熟だ。