Date: 11月 21st, 2021
Cate: 情景
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情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情・その7)

フルトヴェングラーは、
「感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ」と語っている。

真理だ、と私は思っている。
でも、そうではないと思っている人もいることも知っている。

どちらが正しいのかは、私にはどうでもいいことだ。

先日、別項「何を欲しているのか(サンダーバード秘密基地・その5)」で、
余韻について書いた。

この余韻もまたフルトヴェングラーのいうところの感動と同じように、
人と人との間にあるもの、もしくは人と人との間に生じるもののはずだ。

一ヵ月ほど前に、ある人と出逢ったのがきっかけで、
余韻についておもう日が続いている。

この、私が感じている「余韻」は、いったいなんなんだろうか、
通常、余韻はデクレッシェンドしていくのに、この「余韻」はクレッシェンドしていっている。
とまどいも感じているわけなのだが、
ここで述べている音情も、人と音との間にあるものであって、
私が音情と感じていても、別の人はまったく感じていないということがあっても、おかしくない。

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