情報・情景・情操(音場→おんじょう→音情・その4)
Amazon Music HDで、金井克子の「他人の関係」を聴いた。
1973年にヒットした歌だから、私は十歳だった。
歌詞の意味を完全にわかっていたわけではなかったけれど、
なんとなくエッチなことを歌っているんだろうな、ぐらいには感じていた。
それに金井克子の振り付けは、学校で流行っていた。
そんな「他人の関係」を久しぶりに聴いた。
1973年当時、聴いていたといっても、
テレビやラジオから流れてくるのを聴いていただけだった。
ディスクを買って聴いていたわけではない。
東京で暮すようになって、テレビもラジオをもたない生活だったから、
「他人の関係」を聴く機会はなかった。
一青窈がカバーした、ということは何かで読んで知っていた。
機会があれば──、というぐらいの関心で、今日まで聴いたことはなかった。
Amazon Music HDには、金井克子、一青窈、どちらの「他人の関係」もある。
金井克子の「他人の関係」に感じられる煽情的な空気感が、
一青窈の「他人の関係」からは、私は感じられなかった。
どちらの「他人の関係」がいいとかわるいとかではなく、
一青窈の「他人の関係」は、
金井克子の「他人の関係」にあった扇情的なところが漂白されてしまっている。
といっても、これは私の感じ方であって、
どちらも、そういうところを感じるという人もいるだろうし、
一青窈の歌に、より強く感じるという人もいるように思う。
それはそれでいいのだが、
金井克子の「他人の関係」と一青窈の「他人の関係」、
どちらに扇情的な空気感を感じるのか。
それによって、音情という言葉の捉え方はそうとうに変ってくるはずだ。