Date: 1月 27th, 2021
Cate: 所有と存在, 欲する
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「芋粥」再読(その6)

未開封のCDボックスが溜っていく……。

クラシックのCDボックスの安さは、
つい買っておこう、と思ってしまうほどで、
これを書いている私も、さすがに未開封のCDボックスはないが、
CDボックスすべてのディスクを聴いているのもあれば、そうでないボックスものもある。

CDボックスが、こんなに安価で入手できる以前から、
封も切らずにそのまま、ということはあった。

五味先生にもある。
     *
 書籍に〝ツンドク〟というのがある。全集もののように、申し込めばいやでも届けられるのではなく、ふらりと入った書店で読んでみようと買った本を、そのまま、読まず積んでおく謂だが、私くらいの歳になると、買ったレコードも帰宅後すぐ聴かず、レコード棚に置いたまま忘れることがある。まさか〝ツンレコ〟ともいうまいが、似たようなものだ。最近、そういうレコードが二十枚ちかくあるのに気がつき、あらためて聴いてみて無性に腹の立ったのが、ポリーニのベートーヴェンのソナタ(作品一一一)だった。
     *
「いい音いい音楽」に収められている「他人の褒め言葉うのみにするな」からの引用だ。
1970年代終りごろで、五味先生でも20枚ほど聴かずのレコードが溜まっていた。

クラシックのCDボックスは、20枚以上のものもけっこう出ている。
50枚を超えるものも少なくない。

五味先生のころから四十年。
あとで聴こう、時間がゆっくりとれたら聴こう、などと思っていたら、
聴かずのディスクは数十枚単位で増えていくばかりだ。

ここで考えたいのは、聴かずのCDボックスが増えていく一方の人は、
TIDALを利用するだろうか、である。

CDボックスを買ったり、中古店にまめに通い、コレクションに足りないものを探す。
そういう人でTIDALを利用していない、というのはどのくらいの割合なのだろうか。

日本では正式にサービス開始になっていないが、
Googleで検索すればどうすればいいのかはすぐにわかるし、
それにかかる労力はわずかでしかない。

しかもTIDALは44.1kHz、16ビットで聴ける。
CD未満の音というわけではない。
それにMQAでの配信もかなり積極的に行っている。

TIDALに手をのばさない理由があるだろうか。

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