S氏とタンノイと日本人(その13)
朝日新聞社が、1970年代後半、オーディオのムックを出していた、というと、
いまでは懐かしがる人よりも驚く人のほうがずっと多いんだろうな……。
あのころ、朝日新聞社は「世界のステレオ」という、
LPジャケット・サイズのムックを数冊出していた。
1977年夏発行のNo.2に、「オーディオ・コンポーネントを創る」という記事がある。
そこで瀬川先生は、タンノイのアーデンとQUADのアンプとの組合せをつくられている。
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最近の新しいオーディオ装置の鳴らすレコードの音にどうしても馴染めない、という方は、たいてい、SP時代あるいは機械蓄音器の時代から、レコードに親しんできた人たちだ。その意味では、このタンノイの〝ARDEN〟というスピーカーと、クォードのアンプの鳴らすレコードの世界は、むろん現代のトランジスター時代の音でありながら、古い時代のあの密度の濃い、上質の蓄音器の鳴らした音色をその底流に内包している。
〝古き酒を新しき革袋に〟という諺があるが、この組合せはそういうニュアンスを大切にしている。
ピックアップに、あえて新製品でないオルトフォン(デンマーク)のSPU−GT/Eを選んだのも、そういう意図からである。
こういう装置で最も真価を発揮するレコードは、室内楽や宗教音楽を中心とした、いわゆるクラシックの奥義のような種類の音楽である。見せかけのきらびやかさや、表面的に人を驚かせる音響効果などを嫌った、しみじみと語りかけるような音楽の世界の表現には、この組合せは最適だ。
むろんだからといって、音楽をクラシックに限定することはなく、例えばしっとりと唱い込むジャズのバラードやフォークや歌謡曲にでも、この装置の味わいの濃い音質は生かされるだろう。
しかしARDENというスピーカーは、もしもアンプやピックアップ(カートリッジ)に、もっと現代の先端をゆく製品を組合せると、鮮鋭なダイナミズムをも表現できるだけの能力を併せもった名作だ。カートリッジにオルトフォンの新型MC20、プリアンプにマーク・レヴィンソンLNP2Lを、そしてパワーアンプにスチューダーのA68を、という組合せを、あるところで実験してたいへん好結果が得られたこともつけ加えておこう。
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《あるところで実験》というのは、
1976年12月に出たステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」での組合せだ。
「世界のステレオ」のなかにも、酒というたとえがある。
ステレオサウンド 41号のなかにも、
《媚のないすっきりした、しかし手応えのある味わいは、本ものの辛口の酒の口あたりに似ている》
と書かれている。
瀬川先生にとって、タンノイの音(スピーカー)というのは、「酒」なのか。