Date: 7月 30th, 2020
Cate: 日本のオーディオ
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S氏とタンノイと日本人(その12)

ステレオサウンド 41号の特集「世界の一流品」で、
瀬川先生は、タンノイのアーデンについて、つぎのように書かれている。
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 ARDENを、レクタンギュラー・ヨークとくらべてタンノイの堕落と見る人があるが、私はその説をとらない。エンクロージュアの木質や仕上げが劣るというのなら、初期のオートグラフからIIILZに至る一連の製品のあの艶のある飴色のニスの光沢──その色と艶は使い込むにつれて深みを増したあの仕上げ──にくらべれば、チークをオイル仕上げして日本で広く普及しはじめてからのレクタンギュラー・ヨークの時代から、堕落はすでに始まっていた。そういう見方をするなら、JBLも〝ハーツフィールド〟以前の高級機では、木部のフィニッシュに四通りないし五通りの種類と、それに合わせてグリルクロスが指定できた。いまはそういう時代ではない。残念なことには違いないが、しかしそれはスピーカーに限った話ではなく、もっと大局的にものを眺めなくては本質を見あやまる。
 すでにヨークの後期から、タンノイはユニットの改良に手をつけている。最大の変化はウーファーのコーン背面の補強リブの新設。それにともなって全体が少しずつ改良され、呼び方も〝デュアル・コンセントリック・モニター〟から、単にHPD385A……というように変ってきている。が、そこに流れる音の本質──あくまでも品位を失わない、繊密でしっとりした味わい──には、むしろいっそうの磨きがかけられ、現代のワイドレインジ・スピーカーの中に混っても少しも聴き劣りしないどころか、ブックシェルフのお手軽スピーカーから聴くことのできない音の密度の高い、味わいの濃い、求心的な音楽の表現で我々に改めてタンノイの良さを再認識させる。
 新シリーズはニックネームの頭文字をAからEまで揃えたことに現れるように、明確なひとつの個性で統一されて、旧作のような出来不出来が少ない。そのことは結局、このシリーズを企画しプロデュースした人間の耳と腕の確かさを思わせる。媚のないすっきりした、しかし手応えのある味わいは、本ものの辛口の酒の口あたりに似ている。
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冒頭に《レクタンギュラー・ヨークとくらべてタンノイの堕落と見る人があるが、私はその説をとらない》
とある。
1980年のGRFメモリーの登場以降、ハーマン傘下時代のタンノイを堕落と見る意見が、
オーディオ雑誌に載っていた。
いまも載っている、といってもいいだろう。

瀬川先生は43号のベストバイでは、
《ホーン型の鳴らす中〜高域域の確かな手ごたえは、手をかけた料理あるいは本ものの良酒を味わったような充実感で聴き手を満足させる》と書かれていたし、
45号の「フロアー型中心の最新スピーカーシステム」では、
《たとえばKEFの105のあとでこれを鳴らすと、全域での音の自然さで105に一歩譲る反面、中低域の腰の強い、音像のしっかりした表現は、タンノイの音を「実」とすればKEFは「虚」とでも口走りたくなるような味の濃さで満足させる》という評価である。

その瀬川先生の、59号のベストバイでの、タンノイに対しての、いわば無視ともいえる評価。
54号の「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」のあとで、
スーパー・レッド・モニターにふれられているのは、56号である。
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 日本の、ということになると、歌謡曲や演歌・艶歌を、よく聴かせるスピーカーを探しておかなくてはならない。ここではやはりアルテック系が第一に浮かんでくる。620Bモニター。もう少しこってりした音のA7X……。タンノイのスーパーレッド・モニターは、三つのレベルコントロールをうまく合わせこむと、案外、艶歌をよく鳴らしてくれる。
(「スピーカーを中心とした最新コンポーネントによる組合せベスト17」より)
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59号ベストバイでの評価のあとでは、つけ足しのような感じがしないでもない。

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