巧言令色鮮矣仁とオーディオ(その1)
別項で、「毒にも薬にもならない音」について、何度か書いてきている。
巧言令色鮮矣仁といえる音もまた、毒にも薬にもならない音であろう。
以前、「音を表現するということ(その4)」で、
優れたアナウンサーが、優れた朗読家とはかぎらない、と書いた。
アナウンサーはannouncer、つまりannounce(告知する、知らせる)人であり、
アナウンサーに求められるのは、情報の正確な伝達である。
ならばアナウンサーは、巧言令色鮮矣仁であってもいいのではないか。
巧言令色鮮矣仁がアナウンサーの理想なのかについては考えなければならないが、
仮にそうだとしたら、もっとも理想的なアナウンサーは、
これから先、AIがますます発達してきたら、人が読むよりも、
AIに読ませたほうが、より巧言令色鮮矣として、
より正確に情報を伝えてくれる可能性も考えられる。
アナウンサーは、人である。
男性か女性か、どちらかである。
けれどAIの発達は中性のアナウンサーを、見事につくりあげてくれるかもしれない。
中性的な男性、中性的な女性、そんな雰囲気の人はいても、完全な中性なわけではない。
完全な中性とは、どういうものだろうか。
両性具有が、完全な中性とは思えない。
性器をもたない者こそが、完全な中性だとしたら、
それはAIによるもののはずだ。
一方、朗読は、announceではなく、recite。
音楽や朗読などの少人数による公演は、recital(リサイタル)である。
ここに巧言令色鮮矣仁は、どれだけ求められるのだろうか。