Date: 12月 21st, 2019
Cate: アンチテーゼ
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アンチテーゼとしての「音」(その16)

汚れることを、ひどく嫌う人がいる。
嫌う、というよりも、どこか怖れているのではないか──、
時にはそう思えるほどに、汚れることを嫌う人がいる。

汚れたら洗えばいいではないか、と私は思ってしまうし、
むしろ汚れまい、とするればするほど、汚れたりするものだ、とも思っている。

それにしても、そこまで汚れることを嫌うのは、なぜなのだろうか。
おもしろいもので、そういう人がオーディオマニアだったりして、
清潔な音を望んでいる。

清潔な音を目指している、清潔な音を出したい(出している)と、
汚れることを極端に嫌う、その男はいっていたことを思い出す。

そういう男の音を、幾度となく聴いている。
清潔な音、わかったようでいて、よくわからないところがある。

どうも、彼の言う清潔な音は、温度感の低い、切れ味のよい音のようでもある。
どこかクールな印象のある音は、キリッとしたところを感じさせる。

それが、どうも清潔な音のようだった。
消毒用のアルコールをふくんだ脱脂綿が肌に触れたような感触が、
清潔ということに結びついての、清潔な音だったのか。

ほんとうのところはよくわからない。
彼自身、よくわかっていたのかどうかもあやしい。

ただ、彼は汚れた音をいっさい出したくなかったのかもしれない。
けれど、そんな音を出そうとすればするほど、
隠れたところが汚れてしまうのかもしれない、と彼は思わなかったようだ。

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