Date: 6月 19th, 2019
Cate: High Fidelity
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ハイ・フィデリティ再考(ふたつの絵から考える・その8)

マリア・カラスによる「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)。
マリア・カラスによる、この歌を聴くたびに、特別な何かを感じる。

マリア・カラスによる「清らかな女神よ」よりも、
シルヴィア・シャシュによる「清らかな女神よ」を先に聴いていた。

そのころ、シルヴィア・シャシュは「マリア・カラスの再来」と期待されていた。
マリア・カラスの「清らかな女神よ」を聴いたのは、一年くらい経っていただろう。

もちろん、それまでにマリア・カラスの歌は聴いていた。
「カルメン」はもちろん、その他のオペラも、すべてとはいえないが、そこそこ聴いていた。

マリア・カラスの「清らかな女神よ」は、初めて聴いた時から、特別な何かを感じていた。
マリア・カラスが特別な歌手だから、そう感じたというよりも、
マリア・カラスの歌ってきたもののなかでも、「清らかな女神よ」はひときわ特別な感じがする。

昨年12月に映画「私は、マリア・カラス」を観た。
そこでも、マリア・カラスが「清らかな女神よ」を歌うシーンがある。

この映画でも、「清らかな女神よ」は、やはり特別だな、と感じていた。
映画を観終って数ヵ月が経って、やっと気づいた。

「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)は、
マリア・カラスの自画像そのものだ、ということに、やっと気づいた。

ここに気づいて、
映画「私は、マリア・カラス」の原題、MARIA BY CALLASにも納得がいった。

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