Date: 8月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
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「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その14)

ステレオサウンド 207号の試聴で、
YGアコースティクスのHailey 1.2がどのレベルで鳴っていたのかは部外者にはわからないが、
ひどい音で鳴っていたわけではないはずだ。

柳沢功力氏といっしょに試聴している小野寺弘滋氏の試聴記からも、それは読みとれる。
少なくともHailey 1.2らしい音で鳴っていたのだろう。

その音を他の人が聴いたとしよう。
柳沢功力氏の試聴記に、まったく同感、と頷く人もいれば、
それほど金属的な音には感じない、という人もいるだろうし、
小野寺弘滋氏とほほ同じ感想、という人もいよう。

YGアコースティクスの、どこが金属質なのだ、という人だっているかもしれない。

金属質な音だけに関しても、聴く人それぞれの閾値がある、ということだ。
自分と違う閾値の意見(試聴記)に腹を立てたところで、どうなるというのか。

いまはSNSがあるから、そこでそう発言することで、同意する人も現れよう。
そこで二人(もしくは数人)で、頷き合っていても、何かの理解に発展していくわけではない。

avcat氏の一連のツイートを、私は特に批判しない。
くり返しになるが、avcat氏はアマチュアなのだから、
そのアマチュアに、あれこれ理解を求める方が愚かである。

これもくり返し書いているが、問題なのは、avcat氏にステレオサウンドの染谷一編集長が、
《ステサンとして本位でなかった旨》を伝え、
さらに《これからこのようなことがないように対策します》と謝罪していることである。

染谷一氏は、ステレオサウンドの編集長である。
編集者はプロフェッショナルであり、編集長はさらなるプロフェッショナルのはずだ。

プロフェッショナルとしての理解が、どうにも見えてこない。

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