「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その13)
金属的な音ということで私がすぐに思い浮べるのは、
ステレオサウンド 56号特集で瀬川先生が書かれていたことだ。
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JBLの音を嫌い、という人が相当数に上がることは理解できる。ただ、それにしても♯4343の音は相当に誤解されている。たとえば次のように。
(中略)
誤解の第二。中~高音が冷たい。金属的だ。やかましい。弦合奏はとうてい聴くに耐えない。ましてバロックの小編成の弦楽オーケストラやその裏で鳴るチェンバロの繊細な音色は、♯4343では無理だ……。
これもまた、たしかに、♯4343はよくそういう音で鳴りたがる。たとえばアルテックやUREIのあの暖い音色と比較すると、♯4343といわずJBLのスピーカー全体に、いくぶん冷たい、やや金属質の音色が共通してあることもまた事実だ。ある意味ではそこがJBLの個性でもあるが、しかしそのいくぶん冷たい肌ざわりと、わずかに金属質の音色とが、ほんらいの楽器のイメージを歪めるほど耳ざわりで鳴っているとしたら、それは♯4343を鳴らしこなしていない証拠だ。JBLの個性としての最少限度の、むしろ楽器の質感をいっそう生かすようなあの質感さえ、本当に嫌う人はある。たぶんイギリス系のスピーカーなら、そうした人々を納得させるだろう。そういう意味でのアンチJBLはもう本格派で、ここは本質的な音の世界感の相異である。しかし繰り返すが、そうでない場合に♯4343の中~高音域に不自然さを感じたとすれば、♯4343は決して十全に鳴っていない。
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4343を、瀬川先生のレベルで鳴らしていたとしても、
中高域二つのユニットの振動板はアルミであって、そこには金属的といわれる音色が、
どう鳴らし込んだとしても、完全になくなるわけではない。
《JBLの個性としての最少限度の、むしろ楽器の質感をいっそう生かすようなあの質感》、
JBLのドライバーユニットをうまく鳴らしたときの、こういう音であっても、
そこにひそんでいる金属質の音を拒絶する人はいる。
これはもう、聴く人の閾値の違いとしかいいようがない。
金属的な音、金属質の音に関しても、
他の音色、たとえば振動板が紙の場合によくいわれる紙臭い音もそうなのだが、
それぞれに閾値が違うことを忘れてしまっては、話はずっと噛み合わないままだ。
素材の固有音は、いまのところどうやってもなくすことはできない。
最終的に残ってしまう性質のものである。
もちろんあるところまで抑えること、コントロールすることはできる。
その結果、ある人は気にならない、と感じても、別の人はどうしても気になる。
これは聴き方が古いとか新しいとか、そういうことではなく、
その人の、ある種の音に対する閾値があるからだ。