「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(英断なのかもしれない……)
英断とは、思いきりよく物事をきめること、すぐれた決断、
と大辞林にはある。
今回の、ステレオサウンドの染谷一編集長の謝罪は、
だからまったく英断とは言えない。
それでも……、と思うことがある。
今回の謝罪の件を書き始めてすぐに友人から電話があった。
そこで話したことなのだが、
染谷一編集長は、あえて謝罪をしたうえで、
avcat氏にツイートしてもらうようにしたのかもしれない。
そうすることで私のような者が、そのことについて何かを書く。
今回の謝罪の件が、それによってさらに拡がり、ステレオサウンドを廃刊の一歩手前まで堕とす。
オーディオ業界からも、読者からも、筆者からもソッポを向かれる。
そして、これかもっとも重要なことだが、ステレオサウンド内の広告営業部も見向きもしなくなる。
そういう状況を自らつくりだすことで、
ステレオサウンドを根底から生れ変らせよう──、
そういう戦略があってことだったら、それは英断といいたい。
創刊から50年。
想像で書くことだが、さまざまなしがらみでがんじがらめになっていて、
ステレオサウンドを変えていこうとしても、それは表面的なところでの変化に留まってしまう。
本質的なところで、根幹から変える必要があると感じていても、
無理なのかもしれない。
ならばどうするか。
もう徹底的にダメにしてしまうのも手のひとつと、私は考える。
それでavcat氏に協力を請い、ああいうツイートをしてもらう。
そしてアナログオーディオフェアという、多くの人があつまる場所で謝罪する。
そのうえでavcat氏に、謝罪の件もツイートしてもらう。
だとしたら立派な策略だ。