Date: 11月 25th, 2008
Cate: 川崎和男
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川崎和男氏のこと(その7)

1996年夏、高校球児でもないのに、五厘刈りにしたことがある。
この年のツール・ド・フランスにマルコ・パンターニの姿はなかった。
不運な事故による足の骨折で、1年、棒に振ったパンターニの復帰を願っての、五厘刈り。
できれば、彼の同じスキンヘッドにしたかったのだが、仕事上、やはりまずいので。

マルコ・パンターニの存在を知ったのは、94年のツール・ド・フランス。
自転車に興味をもちはじめたばかりの私にとっても、
パンターニの、山岳ステージでの走りは驚異的だった。熱狂した。

97年のツール・ド・フランスのラルプ・デュエズで、ステージ優勝。
パンターニ復帰する。
ゴールでの、雄叫びをあげるパンターニのガッツポーズ。
そのポスターを手に入れてから、ずっと目に付くところに貼っていたこともある。

そして98年。
ジロ・デ・イタリアで総合優勝。
でもツール・ド・フランスの、おおかたの予想は、前年度の覇者ヤン・ウルリッヒ。
私もそう思っていた。

でも、雨の日の、あの山岳ステージ、
パンターニがアタックをかけて成功してしばらくすると、テレビ画面の下に、
暫定マイヨ・ジョーヌを示すテロップが出た。
深夜、友人宅で、テレビ放送を見ていたことも重なってか、
「なぜ、こんなところにいるんだろう……」と、
いきなり、そんな思いがこみあげてきた。

その数ヶ月後、MacPowerの12月号が出た。この号の「Design Talk」のタイトルは「得手」だった。
川崎先生が菅野先生のことを書かれている。

「得手」を読んで、あの日と同じようなことを思っていた。
そして、とにかく動かなきゃ、と思った。

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