Date: 4月 20th, 2018
Cate: 菅野沖彦
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「菅野録音の神髄」(その16)

(その14)で引用した保柳健氏の発言に、
菅野先生はこう返されている。
     *
菅野 自信というか、自信を意識しない、自分なりにこうありたいという、むしろ願望でしょう。
保柳 私は主観を怖れるというか、いや、片寄りを怖れるんですね。
菅野 客観、主観の問題ですけれど、これは今までに古今東西で論じられていますが、私の考えでは、一人の人間が、自分以外の宇宙になり切れない。客観というものは主観に比べると弱いもので、それこそ存在理由が弱い。主観というのは悪い意味で使われることが多いんです。主観を主張するときは、ある普遍性を持った主観であるかないかが問題になるわけで、結果的には一番重要な問題になってきます。立派な作品が残っている作家は、皆、強烈な主観を持つが故に強烈な個性を持つといえます。それがまた、洋の東西を問わず普遍性を持っています。主観というのは、ある優れたレベルに達したときは、必ず普遍性を持つものでしょう。
保柳 ある意味では、あなたは非常に非常に衝動的に動けるんです。だから、作るものが短期間にできる。ところが、こちらは、ネッチリ型で、録音すると、その瞬間こわくて出せないときがある。これには客観的なものがないわけです。
菅野 それでいて、人が録音すると、それはいい、あまり考えないでやった方がなんておっしゃる。今でも覚えているのでずか、清水高師のヴァイオリンのレコード。どうも私は気になって仕方がなかった。あの時、あなたは、そんなことないといってね。
保柳 それは私の中にないものが、あなたの中にあって、それが燃えるのは、私にとって全く素晴らしいことなのです。
菅野 だから私の中にもいやだとおもうことはあるのです。つまり、そこまで無我夢中というわけでもないんですよ、私は。
保柳 でもね、私にとっては、菅野さんみたいな行き方は羨しいと思いますよ。飛行機のレコードのことになりますが、あんなにたくさん出たわけです。一番最初に何を見たか、録音日を見ました。全部最近になって、一日か二日で録音しているんです。これはね、感性豊かな人間がパッとやるんなら認めるんです。そうじゃなくて思いつきが行動と短絡している。これは大事なことだと思うんですが、あなたの場合、時に瞬間的にやられるにしても、バックが長いんですよ。ピアノなら、ピアノに対するバックが長いわけです。
菅野 仕事というものは、そういうものですね。それが一分の仕事であっても、四十何才と何ヵ月の一分ですから。
     *
このあとに(その11)で引用した対話に続いていくわけだが、
「そこで聴いた音」とは、「そこで聴きたい音」でもある。
そして(その10)での青山ホールについてのことにつながっていく。

「そこで鳴っている音」を録ろうとした青山ホールでの録音は、だから失敗している、といえよう。
「そこで聴いた音」、「そこで聴きたい音」を録るのであれば、
青山ホールでの録音はうまくいくのであろう。

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