「菅野録音の神髄」(その11)
菅野先生は何を録ってられたのか。
これもステレオサウンド 47号からの引用だ。
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菅野 最近考えていることの一つなんですが、録音というのは、そこで鳴っているのをとるのと、そこで聴いた音をとるのとあるんですね。
保柳 なるほど。
菅野 非常にオーバーラップしてもいますが、これは違う姿勢である。自分の場合を考えてみると、「そこで聴いた音」をとるわけです。
保柳 ははあ。
菅野 というより、録音する人間は、所詮「そこで聴いた音」しかとれないんだという考えなんですね。「そこで鳴っている音」をとるというのは、非常に物理的でありまして、つまり一時いわれたように、機械が進歩すれば、生の音が再現できるという考え方から生まれてくるのではないかと思います。
保柳 うん。
菅野 録音場と再生音場の差ということがよくいわれるでしょう。まあ、これはコンサートホールにしても、スタジオにしても家庭の部屋とは非常に違う。レコード音楽というものは、原則として過程で聴くものであって、そのような二つの音場を考えたときに、すでにそこには動かし難い録音再生の特質が存在するという事実がありますよね。その点から考えてみても、二つの音場の差をよく知った耳で、技術的には、そこで聴いた音をとると、こういうように考えるわけです。
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「そこで聴いた音」と「そこで鳴っている音」。
オーディオマニアには、ワンポイント録音こそ最高の録音手法である、
そう思い込んでいる人がいる。
数年前、あるところで、そういう人が録音したピアノを聴いた。
なんとも奇妙な音がした。
聴かせてくれた人(録音した人ではない)によると、
ワンポイント録音だそうだ。
しかもオーディオマニアによる録音だったし、
録音の結果にも満足している、とのこと。
録音した人のことを知っているわけではない。
だけど、録音されたピアノの奇妙な音を聴いていると、
「そこで鳴っている音」をとろうとしての失敗だったように思うのだ。