ピュアオーディオという表現(「3月のライオン」を読んでいて・その3)
行き着いたと思ったところに、その次に進む道が見えてくる。
しかも道は一本とは限らない。
それはオーディオも同じのはずだ。
なのに……、と思うことが、これまでも何度かあった。
ある人は「頂点まで最短距離で登っていった」と、私に言った。
あきれるをとおりこして、無表情で聞いているしかない。
この人には、道が一本しか見えなかったのか。
それとも一本しか見てこなかったのか。
本人は行き着くところまでいった、と思っている、
信じ込んでいるのだろう。
その人は、見たコトのないドアのあるところまでたどり着いていないだけなのかもしれない。
もしかすると、本人は前だけを見ているつもりでも、下だけを見ているのかもしれない。
ピュアオーディオとは、映像をともなわない、音だけの世界のこととしか使われている。
「頂点まで最短距離で登っていった」といった人がやっているのも、
その意味ではピュアオーディオといえる。
けれど、その人は「頂点まで最短距離で登っていった」といってしまった。
その時点で、別の意味でのピュアオーディオからは外れてしまった、ともいえる。
純粋な気持で取り組む意味でのピュアではなくなっている。
だから、自分のいるところを頂点だと勘違いしてしまうし、
見たコトのないドアにも気づかない。