とんかつと昭和とオーディオ(その5)
伊藤先生は、ステレオサウンド 42号「真贋物語」で、
とんかつについて、こう書かれている。
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とんかつぐらいラーメンと共に日本人に好かれる食いものはない。何処へ行っても繁昌している。生の甘藍(きゃべつ)がこれほどよく合う料理もないし、飯に合うことは抜群である。甘藍とウースターソースの香りを嗅ぐととんかつを連想して食欲が沸く。ビフカツには生のが合わないで甘藍を人参の細切りと茹でてビネガーを加えたものが最高によく合う。逆に之がとんかつと合わないから不思議である。豚も牛もよい肉の場合であることは断っておく。
鴨と葱のような因縁が、誰が創(はじ)めたのか見事な配合として残されている。
小さいレストランだと換気が悪い為か、入った途端に調理場の臭いがする。これを嗅げば其所の料理の程度の大方は推察できる。バターの香りとスープ・ストックの香りが漂っていれば大丈夫である。
とんかつやも然りで、ここの場合は本もののラードの香りがしていれば占めたもの、甘藍も肉も上質なものに決まっている。
嗅ぐと頭痛がして嘔吐を模様するような油をつかっている家が沢山あるが、その店の前を通っただけで鼻をついてくれるからよく解る。そんな店でもひれかつを出しているから、恐れ入る。ひれは余程よい店のでないと臭くてまずいから中以下の店ではロースの方がよい。それも並の方がうまく高い上の方は厚みがあるだけである。
脂身があると起って残す人がいるが、程度にもよるけれど油のないロースのかつなど食わない方がよい。
とんかつソースなんて得体の知れないものを発明してから、どんかつは下落したのである。
劣悪な肉料理を食うための効能は認めるが、良質な肉と高度な調理に対する害毒と侮辱の外の何ものでもない。
ウースターソースでさえ、当節日本人の口に合わせたとか称して本物の味のするものが殆どない。国産品で唯一つ納得できるものが有るが儲からぬのか製品が少ないのか、仲仲手に入らない。市場から消えないように祈っているがその中に大手の企業に併合されて、劣悪なものになり下るであろう。
先日テレビで演歌師の老人が大正時代を顧て「むかしは浅草のパウリスタでとんかつが十銭で食えたもんだが今のよりずっとうまかった。何しろいまとちがってソースだって舶来の本ものだったから。」と気焰を上げていたのを見聞して我意を得たと喜んだものの、この演歌師ほどの老人(私自身を棚にあげて)でなくてはもう忘れられていくのか、と悲しく憶った。
改悪を重ねて大衆の舌を劣化させていく食品、本物が遠く霞んで消えていくのを見ていると、生き甲斐を失う。
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何度も読んだ、この伊藤先生のとんかつの文章こそが、
私のとんかつの基準と、いまもなっている。