世代とオーディオ(昭和は遠くになりにけり……か・その6)
オーディオって、好きな音楽をいい音で聴く趣味であって、
鍛えるとか鍛えられるとか、そんなこと無関係の世界ではないの?
ほんとうにオーディオはそれだけの世界にとどまる趣味なのか、と私は思う。
鍛える、鍛えられるとは、
オーディオにおいてはどういうこと? と思われる人もいよう。
鍛える(鍛えられる)とは、オーディオつにアとしての純度を高めていくことだ。
好きな音楽をいい音で聴きたいだけなのか、
己の裡にある何ものかの純度を高めていきたい、と思うのかどうか。
好きな音楽をいい音で聴きたいと思っている人でも、
オーディオマニアでない人とオーディオマニアである人の違いは、ここにもあると思う。
どんなにオーディオにお金をかけていても、オーディオマニアでない人がいる、と、
別項で書いているのは、ひとつにはそういうことである。
オーディオは迎合しない男の趣味と書いたのも、そういうことである。
「楽しめればそれでいいじゃないか」、
でも、それだけでは行けない領域があるのを知っている人と知らない人がいる。
「たのしい」には、楽しいと愉しいとがある。
オーディオの楽しさ、オーディオの愉しさ。
混同しないことだ。