評論家は何も生み出さないのか(書評のこと)
(その5)にfacebookでコメントがあった。
そこに書評の世界のことが書いてあった。
コメントの内容とは関係のないことだが、
書評は難しい、とステレオサウンドの編集をやっていたころから思っていた。
当時のステレオサウンドには、岡先生による書評のページがあった。
音楽、オーディオに関する本が取り上げられていた。
毎回岡先生の原稿を読むたびに、さすがだな、と感心していた。
大半が未読の本だったが、
中には岡先生の原稿の前に読んでいた本もあった。
そういうときは、ほんとうにかなわないな、と感じていた。
書評を書け、といわれても、こうは書けないどころか、
書評というものをどう書いたらいいのかもわかっていなかった(つかめていなかった)。
日本語で書かれた本を読んで、その本について日本語で書く。
いったい何を書いたらいいのだろうか、途方に暮れる。
書評を依頼されることはないけれど、
時々、この本を紹介するのに、どう書くかは考える。
ステレオサウンドを辞めて25年以上が経っているし、
こうやって毎日書いていても、書評はほんとうに難しい、とおもう。