他者のためのセッティング・チューニング(その6)
一枚のディスクだけを使って、
何度も何度も同じ曲を聴いて、セッティング・チューニングしていく。
今回は十回くらいだから、回数としては少ないほうだ。
多ければ、二十回、三十回と同じ曲をくり返し聴いていく。
こういう聴き方に向いていない人が案外少ないないように感じている。
向いていない人は、同じ曲をくり返し聴いているにも関わらず、
その人の中にあるであろう音の判断の軸が、聴くたびに変動している人である。
こういう人が相手のときは、セッティングを変えたふりをして、
どこも変えずに音を聴いてもらうと、「変りました?」ではなく、
さっきのほうが良かった、とか、こっちの方がいい、という。
聴き方には向き不向きがあるから、こういう人は短時間のくり返しではなく、
時間をかけてゆっくり自分の音をつくっていけばいいだけの話だ。
Hさんは、そういうことがなかった。
マリーザ・モンチが、こうあってほしいと、というイメージがしっかりあるからだと思う。
今回のセッティング・チューニングは短い時間ではあったが、
私にとっては、聴き方の範囲をひろげることができた。
ブラジル音楽をほとんど聴かない私は、
Hさんが不満とする「リズムが流れてしまう」ということが、つかめなかったけれど、
今回のセッティング・チューニングで、すこしはつかむことができた。
誰かのためのセッティング・チューニングであっても、
そこから得られることは必ずある。
オーディオにおける聴き方は、ひとりよがりになりがちだ。
それを自分の世界だから……、ということでそこにとどまってしまうことも、
その人さえよければありかもしれないが、私はそうありたくない。
私自身の聴き方の範囲をひろげていくためにも、
誰かのためのセッティング・チューニングは、
結局は自身のためのセッティング・チューニングである。