ハイ・フィデリティ再考(ふたつの絵から考える・その4)
造花は花弁も葉も茎も、本来の植物とはまったく異る素材によるものだ。
その造花を描いた絵も、キャンパスの上に絵具で描かれたもので、
本来の植物とはまったく異る存在といえる。
ふたつの絵がある。
どちらも造花を描いているが、
一枚はその絵をみるものに、対象が造花だとわからせる、
もう一枚はほんものの花を見て描いたとおもわせる、としたら、
どちらがHigh Fidelityなのかということについて、ここでは書いている。
絵描きの目の前にある造花を原音と捉えれば、
造花とわからせる絵がHigh Fidelityということになり、
造花もまた絵と同じで、ほんものの花そのものではないわけだから、
絵とは違う手法で描いたものと捉えれば、
本物の花を見て描いたとおもわせる絵がHigh Fidelityとなる。
絵は平面であるが、造花は立体である。
その意味では、平面の絵よりも立体の造花が、
ほんものの花に、よりHigh Fidelityということになるのだろうか。
ここではあくまでも造花を見ての絵という前提に立っている。
絵の前に造花が存在し、造花の前にほんものの花がある。
しかも造花はほんものの花と同じ大きさにつくられている。
絵は必ずしもそうではなかったりする、時には小さかったり大きかったりすることもある。
こんな堂々めぐりしそうなことを考えていると、あたりまえすぎることに気づく。
録音と再生音。
どちらも音という漢字がついているが、録音は音ではないということだ。
再生音はスピーカー、ヘッドフォンなどから発せられた音なのだから、
音である。
高音、低音も音がつく単語で、こちらも高い音、低い音ということで、音そのものである。
けれど録音は音がついている単語であっても、音そのものではない。
マイクロフォンが捉えた音(空気の振動)が、
なんらかの形で記録されたものであって、
これをプログラムソースとするからわれわれは家庭で好きな音楽を聴けるわけだが、
音そのものではない。
この、当り前すぎることを、ここでは改めて考え直している。