ステレオサウンドについて(その114)
ステレオサウンド61号が書店に並んだのは、冬休みに入って帰省してからだった。
61号の特集こそ、瀬川先生がいてほしい企画である。
よけいに、瀬川先生の不在を感じていた。
特集の最終ページをめくると、
「オーディオ界の巨星墜つ 瀬川冬樹氏追悼」の文字があった。
61号を手にして、私にとってステレオサウンドのおもしろさは、
瀬川先生の文章を読むことにあったことを、再確認していた。
五味先生が亡くなられてから、その傾向は強くなっていた。
1980年4月、五味先生、
1981年11月、瀬川先生、
私はオーディオの指標、そして音楽の聴き方の指標をなくしてしまった。
冬休みが終り、東京にもどってきた。
学校に通う日々。
1月の中ごろだった、帰宅すると、当時は寮住まいだったから、
寮母さんが、「電話ありましたよ、ステレオサウンドというところから」と伝えてくれた。
瀬川先生の死を知ってから一ヵ月経っていなかった。
あのときは頭の中が真っ白になった、
このときは耳を疑った。
1981年、私はステレオサウンド編集部宛に手紙を何通か書いていた。
おもしろいことを書くやつがいるということで、目に留ったようだ。
手紙にはしっかり住所だけでなく、寮の電話番号も書いていた。
それでも連絡があるとは思っていなかった。
これがきっかけとなって、働くようになった。
純粋に読者として読んだステレオサウンドは、だから61号までである。
この項も、これで終りである。