毎日書くということ(戻っていく感覚・その5)
黒田先生がフルトヴェングラーについて書かれている。
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今ではもう誰も、「英雄」交響曲の冒頭の変ホ長調の主和音を、あなたのように堂々と威厳をもってひびかせるようなことはしなくなりました。クラシック音楽は、あなたがご存命の頃と較べると、よくもわるくも、スマートになりました。だからといって、あなたの演奏が、押し入れの奥からでてきた祖父の背広のような古さを感じさせるか、というと、そうではありません。あなたの残された演奏をきくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき、同時に、この頃ではあまり目にすることも耳にすることもなくなった、尊厳とか、あるいは志とかいったことを考えます。
(「音楽への礼状」より)
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クラシックの演奏家は、フルトヴェングラーの時代からすればスマートになっている。
テクニックも向上している。
私はクラシックを主に聴いているからクラシックのことで書いているが、
同じことはジャズの世界でもいえるだろうし、他の音楽の世界も同じだと思う。
《あなたの残された演奏をきくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき》
と黒田先生は書かれている。
フルトヴェングラーと同じ時代の演奏家の残した録音すべてがそうであるわけではない。
単に過ぎた時代をふりかえるだけの演奏もある。
時代の忘れ物に気づかさせてくれる演奏──、
私がしつこいくらいに五味先生、岩崎先生、瀬川先生のことを書いている理由は、ここにもある。
私自身が時代の忘れ物に気づきたいからである。
オーディオの世界は、いったいどれだけの時代の忘れ物をしてきただろうか。
オーディオ雑誌は、時代の忘れ物を、読み手に気づかせるのも役目のはずだ。
私にとっての「戻っていく感覚」とは、そういうことでもある。