いま、そしてこれから語るべきこと(その3)
グレン・グールドが語っている。
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地理的ギャップというものもある。東へ行くほど、レコードは録音によるコンサート効果をねらっていることがわかる。もちろんさらに遠く日本にでも行けば、西欧化されたコンサート・ホールの伝統による禁忌などはとりたててないから、レコーディングはレコーディング独特の音楽経験として理解されている
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グールドは日本に来たことはないはずなのに、
なぜ、日本でのレコードの聴かれ方について、こう認識しているのだろうか。
少なくとも、この言葉は、レコードをコンサート代用品とか、
カンヅメ音楽といって軽視している人たちのことではなく、
オーディオにつよい関心をもっている人たち、
菅野先生が提唱される、レコード演奏家そのものであろう、というより、であると断言していいだろう。
「日本のオーディオはアメリカのハイエンドに比べると10年くらい遅れている」
という発言をしている人を、ときおりネットでみかけると、かなしくなる。
グールドの全CDやDVDが手に入り、多くの関連書籍が読めるその日本から、
グレン・グールド的リスナー(インタラクティブで創造的な聴き手)が出てきても不思議ではないのに、
と思っているからだ。
グールド的リスナーからの視点による、オーディオの機能性を語れれば……と思う。
1993年に「ぼくはグレン・グールド的リスナーになりたい」という拙文を書いた。