録音は未来/recoding = studio product(吉野朔実の死)
うたたねから起き、手にしたiPhoneで目にしたニュースは、かなり衝撃だった。
「漫画家の吉野朔実さんが死去」とあったからだ。
人は必ず死ぬものである。
こうやって書いているあいだにも、世界のどこかで誰が亡くなっている。
その人のことを、その人の名前も何も、私が知らないというだけで、
誰かがつねに、世界のどこかで亡くなっている。
今年も少なからぬ著名人が亡くなっている。
音楽関係において、もだ。
衝撃を受けることもあれば、それほどでもないときもある。
ただどちらにしても、喪失感はそれほど感じていない。
他の人はどうなのかわからないが、
私は、熱心に聴いてきた演奏家が亡くなっても、衝撃をうわまわるような喪失感は感じてこなかった。
けれど吉野朔実の死には、衝撃だけでなく喪失感が強かった。
手塚治虫のときもそうだった。
音楽もマンガも同じところがある。
オリジナルとなるものがあり、それの大量複製を手にしている、という点だ。
違いもある。
本はそのまま読める。
読むための特別な機器を必要とはしない。
視力がかなり悪い人は補うものを必要とするが、それは複雑なものではない。
レコード(録音物)はそうではない。
オーディオという、かなり複雑なシステムを介在させなければ聴くことはできない。
この決定的な違いが、私にとって喪失感につながるかどうかに大きく関係しているように、
吉野朔実の死を知って、考えたことだった。
あらためて「録音は未来」だと思う……