羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その14)
聴覚も触覚だとすれば、音楽の聴こえ方は、聴き手の身体状態と関係してくることになる。
たとえば前のめりになって聴くことがある。
そのとき身体(からだ)の状態はどうだろうか。
身体をこわばらせていないだろうか。
手はどうだろうか。握りこぶしをつくっていないだろうか。
こわばらせるは、強ばらせる、と書く。
文字通り、身体に力がはいっていると肌の感覚はどう変化するだろうか。
力を抜いた状態と強ばらせた状態で、肌の、何かの刺戟に対する反応は果して同じだろうか。
握りこぶしをつくっていたことに気づいた人は、
ためしに手のひらを広げてみたらどうだろうか。
それだけでも音の聴こえ方は変ってくる。
スピーカーから出てくる音は変化していなくとも、
聴き手の身体状態のあり方が変れば、音の受けとめ方が変ってくるのだから、
音が、結果として変って聴こえても不思議ではない。
音の聴き方をたずねられることが増えてきた。
凝視するような聴き方はしないこと、と答えている。
凝視すれば眉間にしわができる。
力を抜いた状態ならば眉間にしわなどできない。
音を耳だけで聴いていると思い込んでいる人には、
こんなことをいってもまるで通じない。
けれど、あきらかに音楽を受けとめているのは、触覚である。
昨夜、あるフルート奏者も同じことを話されていた。
音楽の聴き手側になったときに、身体に力がはいった状態と抜いた状態とでは、
音楽の聴こえ方が違ってくる、ということだった。