「虚」の純粋培養器としてのオーディオ(ライバル考)
囲碁や将棋、
ほんとうに強くなるためにはライバルの存在が不可欠のように思う。
囲碁に関してはまったく知らないし、
将棋に関しても駒の動かし方をなんとなく憶えている程度の者のいうことだから、
あてにならないのかもしれないが、
それでもたったひとりだけで勉強していって、ほんとうに強くなれるものだろうか。
囲碁、将棋の才能に恵まれた人がいたとする。
けれど、彼のまわりには彼と同程度の実力をもつ、
つまりライバルとなり得る存在がいなかったとしたら……。
将棋や囲碁の世界には、名人といわれる存在の人たちが、
上の世代にいるわけだから、たとえライバルがいなくともその人たちを目指していけば、
強くなれるはず──、そう思えなくもないが、それでも……、とやはり思う。
オーディオはひとりで完結しようと思えばできなくはない趣味である。
オーディオ仲間をいっさいつくらずに、趣味として楽しむことができる。
誰かと対戦するわけではないから、
将棋や囲碁とは違いライバルは必要としない趣味、と果していえるだろうか。
ライバルなんて、プロの世界だけのものでしょ、という意見もあるだろう。
それに生の演奏がライバルだ、という意見もあるはずだ。
そう思える人はそう思っていればいい。
「虚」の純粋培養器としてのオーディオ、というタイトルをつけてしまってから考えているのが、
ライバルの存在に関して、である。
まだ結論に近いものが見えているわけではない。