評論と評価/「表」論と「表」価(その1)
昨日のKK塾の前日に、「表」論なるもの、と題された文章を読んでいた。
浅井佳氏という方が書かれた文章だ。
《つまり評論ではなく「表」論なのだ。》と書かれている。
浅井氏自身、《我ながらうまい》と書かれている。
確かに、うまいと思った。
評論ではなく表論。
そうとしかいえないものを、いやというほどいまは読める。
読まされる、といってもいいだろう。
評論といえるものはどこにいってしまったのか。
そう嘆きたくなるほど、表論が増えているのは何もオーディオだけのことではないようだ。
そんなことを思っていた翌日に、KK塾の四回目だったから、
講師の長谷川秀夫氏の話をきいていて、この表論のことも思い出していた。
評価も、「表」価になっているのではないだろうか。
それはなにもオーディオ機器の評価にとどまらないのではないか。
安全、信頼の分野でも、評価が「表」価になってしまっているところがあれば、
そこに気づかずにいれば、どうなるのか。
そんなことも考えていた。