Date: 1月 22nd, 2016
Cate: オーディオ評論
Tags:

評論と評価/「表」論と「表」価(その1)

昨日のKK塾の前日に、「表」論なるもの、と題された文章を読んでいた。

浅井佳氏という方が書かれた文章だ。
《つまり評論ではなく「表」論なのだ。》と書かれている。

浅井氏自身、《我ながらうまい》と書かれている。
確かに、うまいと思った。

評論ではなく表論。
そうとしかいえないものを、いやというほどいまは読める。
読まされる、といってもいいだろう。

評論といえるものはどこにいってしまったのか。
そう嘆きたくなるほど、表論が増えているのは何もオーディオだけのことではないようだ。

そんなことを思っていた翌日に、KK塾の四回目だったから、
講師の長谷川秀夫氏の話をきいていて、この表論のことも思い出していた。

評価も、「表」価になっているのではないだろうか。
それはなにもオーディオ機器の評価にとどまらないのではないか。
安全、信頼の分野でも、評価が「表」価になってしまっているところがあれば、
そこに気づかずにいれば、どうなるのか。

そんなことも考えていた。

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