老いとオーディオ(その4)
この項の(その1)を書いてから、
瀬川先生のことをあれこれおもい出している。
私がまだ学生で熊本に住んでいたころ、瀬川先生は熊本のオーディオ店に定期的に来られた。
そのとき語られたことがある。
音を健康状態に例えられた。
体のどこかが悪くなる。怪我をすれば痛い。痛いことで、怪我したところを意識する。
手を怪我していたければ、そこに手があるのを意識してしまう。
だが怪我をしていなくて傷みがなければ、ふだんは手があることをことさら意識することはない。
病気も同じである。
具合が悪いところがあるから、その存在を意識してしまう。
腹痛がすることで、体の中の内蔵を意識する。
病気とまでいかなくとも食べ過ぎ呑みすぎで胃もたれすれば、胃がどこにあるのかを意識する。
健康であれば、そんなことはない。
そういう意味で悪い音を出すシステムは、その存在を聴き手に意識させてしまう。
装置の存在を意識させない音は、つりは健康な状態の体と同じで、いい音ということになる。
たしかにそうである。
だが瀬川先生の話はつづく。