「異相の木」(好きな音と正しい音・その1)
facebookで、オーディオについて語り合われているものを見ていると、
オーディオには正しい音はなく、あるのは好きな音か嫌いな音である、といったことに出会すのが、増えた。
私が今年目にしたそれらの発言のほとんどは10代、20代の若い人たちではなく、
40代より上、私よりも上の世代も含めて、オーディオをやってきた時間の長い人たちが、そう言っている。
つい先日見かけた発言には、こんなことが書かれていた。
気に入ったオーディオ機器で、好きな音楽をかけつづけていれば、音は自分好みになっていく、とあった。
好きな、とか、好みの、とかいったものこそが個人において優先されることなのといっていいのだろうか。
たしかに気に入ったオーディオ機器(デザインも音も含めて)を手に入れ、
時間をかけて好きな音楽をかけて鳴らしこんでいくことで、そこから得られる音は好みに寄り添ってくれる。
だがそんな音楽の聴き方をしていれば、狭いところにいつづけることになっていく。
だから、こんなオーディオのやり方、音楽の聴き方はだめだとはいわないけれど、
それだけでいいともいわない。
それに、正しい音はオーディオには存在しない、ともいわない。
はっきりいう。
正しい音はある。