ふたつの「型」(その1)
型にはまった、という表現がある。
この場合の型は基本を指していることが多い。
型にはまった音。
もし誰かに音を聴かせたら、こんなことをいわれたら聴かせた方としては嬉しくないはず。
特に欠点はないのだれど、個性のない音とか、その人らしさの感じられない音とか、
そういうふうに受けとることができるからである。
けれどほんとうに基本に忠実な音を出していて、
その音を「型にはまった」といわれたのであれば、それほど悲しむことではないと思う。
基本という型がある。
もうひとつ別の型があると、オーディオには確実にあると思うことが何度もあった。
この場合の型は、その人の音の鳴らし方の癖てある。
どんなにタイプの違うスピーカーシステムであっても、同じ音で鳴らしてしまう人がいる。
こう書いてしまうと、その人の鳴らし方が優れているように思われるかもしれないが、
むしろ逆で、どんなスピーカーにもそのスピーカーならではの良さがあるにも関わらず、
その人が鳴らすと、スピーカー固有の良さは影をひそめ、
その人の癖(個性とは言い難い)にはまってしまった鳴り方しかできなくなっている。
鳴らしている本人は、どんなスピーカーでも自分の音として鳴らせる、と自信満々だったりする。
けれど、その人の音をスピーカーが替るたびに聴いてきた私からすれば、
どのスピーカーでも、結果としての音は同じだから……、と思ってしまう。
スピーカーを替えるよりも、まず自分の型にはまってしまっていることに気づき、
そこから離脱することに精進すべきなのでは、と言おうと思ったことは何度もある。