「音楽性」とは(その9)
若いひとが、うまれる前に作られたスピーカーや、そのころの真空管アンプに関心をもつことのすべてを、
時代へのエキゾティシズムのひと言で片付けてしまえるとは毛頭思っていないが、
それでも、違う時代に対するエキゾティシズムを完全に否定することができるひとは、果しているのだろうか。
ふりかえることで、時代時代には、やはりその時代ならではの「音」が存在している。
それは技術の進歩とも大きく関係しているし、もちろんそれだけでは語れないくらい、
多くの要素によってかたちづくられている「音」であるし、その時代の「音」がいつ、どう変っていくのかは、
その時代の中にいると、なかなか気づきにくい性質のものである。
時代時代の音がある、と書いておきながら、ある時代とつぎの時代の音のあいだには、
それを区切るものがあるわけではない。
いつの時代もふりかえってみることで、時代の音があったということを、
おぼろげながらだろうが感じているはずだ。
レコードの音の変化をみてもそうだ。
1950年代前半の真空管アンプ全盛時代のモノーラル録音、それがステレオ録音になり、
60年代にはいり徐々に録音器材が真空管からトランジスターのものへと置き換わっていく。
そしてマルチマイク、マルチトラック録音があらわれはじめ、器材のトランジスター化も次の段階へと進んでいく。
マルチマイク、マルチトラック録音の技術も進歩していっている。
そしてダイレクトカッティングがあらわれ、デジタル録音もはじまっていく。
それらの時代を代表するレコードが必ず登場しているわけだが、けれどそれらのレコードが、
前の時代との境界線かといえば、そうとはいえない。