日本の音、日本のオーディオ(その30)
ピアノの音色が無色透明であるということは、いったいどういうことなのだろうか。
そういうことはありえるのだろうか。
ピアノの音色が無色透明になるとしたら、それは純度を極限まで高めていくことなのか。
とにかく、そう考えた。
純度を高めていく──。
そんなことがピアノの音色において、果して可能なのだろうか。
純度を高めていっているものとして、オーディオですぐに例として挙げられるのは、
ケーブルの素材である。
1970年代に無酸素銅が登場し、’80年代にはいり銅線の純度を高めていくことが追求されていった。
99.9%、99.99%、99.999%……と小数点以下の9の数が増えていった。
不純物を銅から取り除く。
そうやってすこしずつ銅の純度を高めていく。
99.9%の銅よりも99.99%の銅のほうが純度は高くなるわけだが、
銅の純度を高くしていくということは、音の純度を高くしていくことと、完全に一致することなのだろうか。
こんな考えもできる。
銅の純度を99.9999%(6N)、99.99999%(7N)、さらには8Nまで登場しているわけだが、
これは銅という素材のもつ音が、より強く出てくることにもなる──、
そうはいえないだろうか。
銅の純度を高くしていくということは、銅の固有の音を純殿の低いものよりも高いもののほうが、
よりストレートに出してくる──、
この可能性を否定できるだろうか。