オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その3)
「オーディオの科学」というウェブサイトがある。
志賀氏の個人サイトで、オーディオの技術的な事柄について、多岐にわたって解説されている、このサイトを、
もちろん否定はしないけれども、だからといって、誰かにすすめるようなことはしない。
「オーディオの科学」に書かれていることをすべて暗記しても、
それだけでは、いつまでたっても「オーディオの知識」は身につかない。
「オーディオの科学」に書かれていることは、志賀氏にとっての事実、であるからだ。
なにも「オーディオの科学」だけではない。
オーディオの技術書をどれだけ読んで、頭に叩き込んでも同じことだ。
オーディオについて詳細にあらゆることを知っているだけでは、ダメだということに気がついてほしい。
「オーディオの知識」として成立させるためには、「有機的な体系化」を自分自身で行なう必要がある。
これができなければ、いつまでたっても、知っている事柄がただ増えるだけで、
「オーディオの知識」は欠如したままだ。
そして「知識」がなければ、見識はもちようがない。
REPLY))
こちらでは、始めまして。
科学的なアプローチでオーディオを語ることは基本でありますし、
非常に重要ですが、ご指摘のように「有機的な体系化」には程遠いのが現状。
ネット上には科学を騙る偽オーディオ論が蔓延っています。
何処と特定するのは遠慮いたしますが、
電気的な測定値からケーブルによる音の差は「プラシーボ」と断言したり
置き台(ラック)で音は変わらない、だとか・・・
偏狭な科学的観点こそが危ない、とも言えますね。
REPLY))
>「オーディオの科学」に書かれていることは、志賀氏にとっての事実、であるからだ。
そんなことは無いでしょう。“物理学”“科学”という人間の叡智の結晶の地平から見たものであって、志賀氏のみの考えが書かれているわけではありません。学問というものは等しく、人間にとって開かれ、同じような結論が求められるものとしてあります。
御サイトには「ケーブルに方向性がある」という驚愕のオカルトを肯定する記述があります。オカルトの人間に“科学”をどうのこうのいう権利はありませんよ。
「オーディオの科学」のどこがおかしいか説明出来ますか?
出来ないでしょう。“経験”という論理的必然性の無いものを持ち出すしかないのではないですか?
ケーブルに方向性があるというオカルトにすがってそれを“経験”などと呼んでいる人間に志賀氏に“経験”が足りないなどというのは、幼稚園児でもその滑稽さを指摘することが出来るでしょう。
REPLY))
やはり、あれは志賀氏固有の世界でしょう。
「科学」と言っているけど、私には科学と感じるところはほとんどありません。
例えばCDプレーヤーでも、一体型で十分と言うけど、振動対策は必要ないと主張する科学的裏づけはありません。
結局、志賀氏のセットがコストパフォーマンスが高く、それ以上お金をかけても大差がないと抽象的に言っているだけで、とても科学的とは思えません。
「大差ない」とは、本人のみの感じ方であり、本人にそれだけ判別する耳がないとも言えます。
最終的には、自分の装置がよく、あとは「大差ありません」のオンパレード。
これほど非科学的はありません。
科学的なアプローチで質問すると「それは、あなたの思い込みからくる主観であり、定量的な分析とデータがない」と言われ、即、削除です。
多分、自分がオーディオの権威として誇示したいだけのように思います。
REPLY))
紋次郎 さま
コメント、ありがとうございます。
「科学」のとらえかたが、人によって微妙に異るところがあって、
志賀さんのサイトを、絶対的な「科学」と信じる人もいれば、そうでない人もいる。
少なくとも科学は、目の前で起っている現象を、まず正確に捉えること、
つまり観察することからスタートすると私は考えます。
オーディオにおいては、それは「聴く」こと。
この「聴く」ことができないならば、観察力が欠けてればどんなに細かい知識を「溜め」込んでも、
科学のスタート地点にはいつまでたっても立てない、と言いたいです。
REPLY))
科学の進歩が人類に偉大なる特権を与えていることは間違いありません。でも現在の科学で知りうることは全宇宙の森羅万象からすれば、浜辺の一握りの砂程度でしょう。あのニュートンもそのように慨嘆しています。ましてニュートンはその時代に自らを正面切って科学者とは名乗っていません。多分占星術師か何かでしょう。
オーディオにとって科学はもちろん大切です。データも大切でしょう。しかし、音楽・オーディオが、理論とデータで割り切れるなら開発者はこんなに楽なことはないでしょう。人間の聴感と脳の感覚は、今の科学でとらえうるデータの数百倍、数千倍、否それ以上をとらえています。理論やデータは大事にしても、それ以上に聴感の大切さを五味さんも瀬川さんも訴えておられました。わたしも40年以上の試行錯誤の中でしみじみそう感じています。
オカルトを非科学的と切れ捨てられる議論もあるようですが、それは余りにも短絡的です。ハイゼルベルグが不確定性理論で実証したのは、科学には確かな限界があるということでした。かつその先は確かにオカルトの世界なのだと20世紀前半に述べています。この世はどうも科学万能で割り切れるほどシンプルではないようです。
オーディオにおいても様々な初期条件、設定条件の違いで、実に様々な結果が出てきます。コードに方向性が生じることもある時確かに存在するでしょう。
科学にはアマチュアでもいつの間にか情熱と共にの音楽・オーディオにめり込みマニアとなり、その人その人の真実を発見する、誠に楽しいことです、是非是非プラス発想でゆきましょう。