Date: 5月 6th, 2013
Cate: 598のスピーカー
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598というスピーカーの存在(その12)

アイロニーがアイロニーとして、ギャグがギャグとして機能しなかったのは、
発信者である長岡鉄男氏と受け手である読者とのあいだに「ズレ」があったから、といえるだろう。

この「ズレ」がなぜ生じたのかについては、どこかで改めて書きたいけれど、とにかくこの「ズレ」が、
598という、日本独自の、この時代ならではのスピーカーシステムの「膨張・肥大」をうんできた、とおもう。
つまり誰が、ということではなく、何が、ということになる。

これはあくまでも1980年代、
ステレオサウンドで働いていた私の捉え方・見方である。
この時代、ステレオサウンドは、598のスピーカーシステムに対して、
どちらかといえば批判的・否定的な立場をとることが多かった。

私は、そのことに影響を受けていたところはある。
だから598のスピーカーシステムを当時肯定的であったところにいた人とは捉え方が違ってくる。
そういう私だから、このブログで598のスピーカーシステムについて書こう、とまったく考えていなかった。
もし書くことがあったとして、別の項でなにかのきっかけで少しだけ触れるだけ、
それもおそらく否定的なことだけを書いていただろう。

それが、こうやって「598というスピーカーの存在」という項を設けてまで書いているのは、
598のスピーカーシステムが、あのまま「膨張・肥大」という改良がなされてきたら、
いったいどういうスピーカーシステムとなったのだろうか、
とふと想像してしまったところがきっかけになっている。

598のスピーカーシステムは、とにかく59800円という価格の制約がある。
実際には59800円よりもやや高い価格になっているだろうが、それでもこの価格の制約は大きい。
その中で、1台あたり、どれだけの利益を生んでいたのか、といらぬ心配をしたくなるほど、
この時代の598のスピーカーシステムは薄利多売の製品であり、
いわばこれがデフレのはじまりなのかもしれない、とまで思ったりもする。

それでもメーカーがいくつもあり互いに競争していくことで、技術者は工夫を重ねていく。

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