広告の変遷(その6)
人はさまざまである。
私には無理なことでも、たやすくできる人がいる。
だから、オーディオ評論家として書くときと、
広告の紹介文を書くときとで、完全に割り切って文章を書くことができる人もいよう。
そんなふうにはっきりと自分を分けられる人だとして、
その人が書いたオーディオ評論の文章を信じられるかというと、私は逆にできない。
なぜなら、そんなふうに完全に割り切って書ける人に、
オーディオの、音楽のもつ、ほんとうに大切なところが理解できているとは、私には思えないからだ。
音楽の機微、音の機微を、そんなふうに割り切れる人がどう感じているのか、
それをまったく想像できない。
想像できない以上、私にとってその人の書いた文章はまったく信用できないことになる。
私とまったく正反対に、このことを受けとめる方もいるかもしれない。
そういう人だから、その人の書いたものは信用できる、と。
これもまた人それぞれだから、私がとやかくいうことではない。
ただ、もう一度書いておくが、
私は、そんな人たちの書いた文章は信用していない。