Date: 3月 22nd, 2013
Cate: 孤独、孤高
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毅然として……(その4)

グレン・グールドはある時期以降、録音の中だけの存在と、自らなっていった。
グレン・グールドによる演奏を聴くには、いかなる人であろうとも、
レコードを買ってきて、オーディオ機器で再生して聴く、
もしくはラジオから流れてくるのを待つ、ということになる。

自分の意思で、グレン・グールドの演奏を聴きたいと思ったときに聴くのであれば、
レコードを買ってくるしかない。
そして、自分専用ともいえるオーディオ機器の存在かなにがしか必要となる。
それは、どれほどの大金持ちであろうとも、権力者であろうとも、
何人もグレン・グールドによるバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、
その他の演奏を聴きたいのであれば、レコードとオーディオがどうしても必要となることには、
かわりはない。

そして、グールドが望んでいた(と書いていいのだろうか、すこし迷うところもある)、
もしくは思い描いていた、彼自身の聴き手は、
彼のレコードを、誰かといっしょに聴く、というのではなく、
あくまでもスピーカーの前にいるのは、
グレン・グールドの演奏が聴きたくて、グレン・グールドのレコードを買ってきた人ひとり、
という状況なのではないだろうか。

グレン・グールドのレコードは必ずひとりで聴かなければならない、
というものではないにしても、
グールドの演奏の性格からして、
そしてコンサートをドロップアウトしたグールドの録音への取り組み方を思えば、
おのずと、グールドのレコードはひとりで聴くのが望ましい。

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