Archive for 2月, 2024

Date: 2月 18th, 2024
Cate: 電源

モバイルバッテリーという電源(その14)

こんなこと書かなくとも、常識もしくは共通認識として、
広く知られているはず──、ついそう思い込んでしまったりする。

けれど後になって、意外にもそうでなかったりしたことがこれまでにもけっこうな回数あった。
ここではアンカーのモバイルバッテリーのPowerHouse 90について書いているところだが、
このPowerHouse 90はバッテリーから、つまりDCからACを作り出している。

つまりそのための電子回路が内蔵されているわけで、
その電子回路を介して、PowerHouse 90のAC出力(110V、60Hz)が得られている。

当然なのだが、アンプと同じように、
本領発揮ともなると、この電子回路のウォームアップの時間というのが必要となる。

アンプが電源をいれてすぐに、本来の音を鳴らしてくれないように、
PowerHouse 90もウォームアップの時間を必要とする。

もちろん通常のAC電源からPowerHouse 90にすれば、
音の変化は小さくないが、それでもしばらく電源供給の状態にしておくことで、
音が変化するポイントがある。

Date: 2月 17th, 2024
Cate: ディスク/ブック

Alice Ader(その5)

今日(2月17日)は、アリス・アデールの二日目の公演。
すべてフランスの作曲家によるプログラムだった。

このことについてあとで書く予定で、とにかくいま書きたいのは、
アンコールでのスカルラッティの素晴らしさだ。

TIDALでもアリス・アデールのスカルラッティは聴ける。
けれど今日まで聴いてこなかった。

あまりスカルラッティは聴かない、という、ただそれだけの理由だ。

今日、アリス・アデールのスカルラッティを聴いて、
こんなにも楽しい曲なのか、と驚いていた。

弾いているアリス・アデールも笑顔を浮かべていた。

Date: 2月 16th, 2024
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その6)

(その4)で引用している五味先生の文章。
ここでもう一度引用しておく。
     *
 私に限らぬだろうと思う。他家で聴かせてもらい、いい音だとおもい、自分も余裕ができたら購入したいとおもう、そんな憧憬の念のうちに、実は少しずつ音は美化され理想化されているらしい。したがって、念願かない自分のものとした時には、こんなはずではないと耳を疑うほど、先ず期待通りには鳴らぬものだ。ハイ・ファイに血道をあげて三十年、幾度、この失望とかなしみを私は味わって来たろう。アンプもカートリッジも同じ、もちろんスピーカーも同じで同一のレコードをかけて、他家の音(実は記憶)に鳴っていた美しさを聴かせてくれない時の心理状態は、大げさに言えば美神を呪いたい程で、まさしく、『疑心暗鬼を生ず』である。さては毀れているから特別安くしてくれたのか、と思う。譲ってくれた(もしくは売ってくれた)相手の人格まで疑う。疑うことで──そう自分が不愉快になる。冷静に考えれば、そういうことがあるべきはずもなく、その証拠に次々他のレコードを掛けるうちに他家とは違った音の良さを必ず見出してゆく。そこで半信半疑のうちにひと先ず安堵し、翌日また同じレコードをかけ直して、結局のところ、悪くないと胸を撫でおろすのだが、こうした試行錯誤でついやされる時間は考えれば大変なものである。深夜の二時三時に及ぶこんな経験を持たぬオーディオ・マニアは、恐らくいないだろう。したがって、オーディオ・マニアというのは実に自己との闘い──疑心や不安を克服すべく己れとの闘いを体験している人なので、大変な精神修養、試煉を経た人である。だから人間がねれている。音楽を聴くことで優れた芸術家の魂に触れ、啓発され、あるいは浄化され感化される一方で、精神修養の場を持つのだから、オーディオ愛好家に私の知る限り悪人はいない。おしなべて謙虚で、ひかえ目で、他人をおしのけて自説を主張するような我欲の人は少ないように思われる。これは知られざるオーディオ愛好家の美点ではないかと思う。
(「フランク《オルガン六曲集》より」
     *
《おしなべて謙虚で、ひかえ目で、他人をおしのけて自説を主張するような我欲の人は少ないように思われる》、
けれど、ソーシャルメディアを眺めていると、
現実はずいぶんと違うようだ、と思わざるをえない。

どうしてなのか。
我欲のかたまりの人は、おそらく心に近い音を聴いていない、
知らない、そんな音を求めていないのではないのか。

いつまでも耳に近い音だけを求めている。
おさなオーディオの域に居続けている人たちなのだろう。

Date: 2月 16th, 2024
Cate: 「オーディオ」考

オーディオの罠(その6)

以前別項で書いたことを思い出している。
こんなことを書いた。

己の知識から曖昧さを、できるだけなくしていきたい。
誰もが、そう思っているだろうが、罠も待ち受けている。

曖昧さの排除の、いちぱん楽な方法は、思いこみ、だからだ。
思いこんでしまえれば、もうあとは楽である。
この罠に堕ちてしまえば、楽である……。

このこともオーディオの罠といえるし、
オーディオに限ったことではない。

Date: 2月 16th, 2024
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その16)

その15)に関連することで思い出すのは、スタートレックの映画である。
2009年からのリブートのスタートレックではなく、
1979年の「スタートレック」から続く映画のことだ。

四作目の「スタートレックIV 故郷への長い道」の監督は、
スポック役のレナード・ニモイだった。
五作目の「スタートレックV 新たなる未知へ」の監督は、
カーク役のウィリアム・シャトナーだった。

「スタートレックIV 故郷への長い道」はいい映画だった。
最後のシーンに、スタートレックのファンならば、うるっとくるものがあったはずだ。
「スタートレックV 新たなる未知へ」、だから期待していた。

がっかりしたことだけ憶えている。
当時は、四作目と五作目の違いについて、あれこれ考えることは特にしなかったが、
このテーマで書いていて、四作目は確かに映画だった。

五作目は映画だっただろうか。
テレビドラマの枠にとらわれてしまっていたのではないだろうか。
それゆえ映画館のスクリーンで観ていて、つらいと感じたものだった。

Date: 2月 16th, 2024
Cate: 「オーディオ」考

耳の記憶の集積こそが……(その7)

耳の記憶の集積こそが、オーディオである──、
なのだから、過去を物語として語れない時点で、
その人はオーディオを語れない、ともいえる。

Date: 2月 15th, 2024
Cate: MERIDIAN

メリディアン DSP3200のこと(その4)

メリディアンのサイトにアクセスすると、
DSP8000 XEをフラッグシップとして、
DSP9、Special Edition DSP7200、Special Edition DSP5200などが、
DSP3200とともにラインナップされている。

DSP8000 EXのユニット構成は、
ウーファーが20Cm口径コーン型(6本)、スコーカーが16cm口径コーン型、
トゥイーターは2.5cm構成のベリリウム振動板のドーム。

DSP9のユニット構成はDSP8000 XEと基本的に同じで、
ウーファーの数が6本から4本となっている。

DSP7200もスコーカー、トゥイーターは同じで、
ウーファーが2本になり、
DSP8000、DSP9ではエンクロージュアの両サイドにあったウーファーが、
フロントバッフルに取りつけられている。

DSP5200は一見するとダブルウーファーの2ウェイのようだが、
ウーファーとスコーカーが16cmと同口径のコーン型、
トゥイーターは2.5cm口径のベリリウムのドーム型の3ウェイである。

これらのモデルがベリリウム振動板のドーム型トゥイーターを採用しているのに、
DSP3200では8cm口径のアルミニウム振動板のコーン型トゥイーターである。

DSP3200のウーファーは16cm口径コーン型。上級機のスコーカーとまったく同じではないだろうが、
基本的にはそう大きくは違わないだろう。

DSP3200の開発にあたって、上級機の上の帯域二つのユニット、
2.5cmのドーム型トゥイーターと
16cmのコーン型ウーファー(スコーカー)とで組むことも考えられたのではないのか。

その方が、ずっと開発も楽になるはず。
なのに実際のDSP3200は、8cmコーン型ユニットをトゥイーターに採用している。
このことの、なぜかを考えずにオーディオ評論は書けるのだろうか。

Date: 2月 14th, 2024
Cate: 孤独、孤高

ただ、なんとなく……けれど(その6)

二年前の(その5)を思い出したのは、
audio wednesdayで音を鳴らすようになったからだ。

(その5)で引用した伊藤先生の文章をもう一度。
     *
孤独とは、喧噪からの逃避のことです。
孤独とは、他人からの干渉を拒絶するための手段のことです。
孤独とは、自己陶酔の極地をいいます。
孤独とは、酔心地絶妙の美酒に似て、醒心地の快さも、また格別なものです。
ですから、孤独とは極めて贅沢な趣味のことです。
     *
一行目の《孤独とは、喧噪からの逃避のことです》、
喧噪からの逃避、そういえる音は出している、と自負している。

Date: 2月 14th, 2024
Cate: レスポンス/パフォーマンス

一年に一度のスピーカーシステム(その11)

レスポンスのいい人というのはいる。
知人も、その一人といっていい。

共通の知人も、その知人のことを「彼はレスポンスがいいからな」と高く評価していた。
そのレスポンスのよさは、とくに同じ分野の先輩からは可愛がられるようだ。

だから、けっこうなことだ。
けれど、知人との長いつきあいで感じていたことは、
レスポンスのよさだけでは、あたりまえすぎることなのだが、
深みにも高みにも達することはできない。

レスポンスのよさで、あちこちに行けたであろう。
これもけっこうなことだと思っている。

あくまでもそれは平面での移動でしかなかった──、
そんな印象が残ってしまっている。

Date: 2月 13th, 2024
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(その3)

 どういう訳か、近ごろオーディオを少しばかり難しく考えたり言ったりしすぎはしないか。これはむろん私自身への反省を含めた言い方だが、ほんらい、オーディオは難しいものでもしかつめらしいものでもなく、もっと楽しいものの筈である。旨いものを食べれば、それはただ旨くて嬉しくて何とも幸せな気分に浸ることができるのと同じに、いい音楽を聴くことは理屈ぬきで楽しく、ましてそれが良い音で鳴ってくれればなおさら楽しい。
(虚構世界の狩人・「素朴で本ものの良い音質を」より)
     *
四年前の(その2)も、十年ほど前の(その1)も、同じ書き出しだ。

今年からaudio wednesdayは音を鳴らすようになった。
まだ二回だけだが、上に引用した瀬川先生が書かれていることをの実践である。

まだまだだよ、といわれるかもしれないが、
このことはとても大切なことで、絶対に忘れてはならないことだ。

Date: 2月 12th, 2024
Cate: ディスク/ブック

Alice Ader(その4)

今日(2月12日)は、アリス・アデールのコンサートだった。
プログラムは、バッハの「フーガの技法」。

アリス・アデールの初来日が発表になってから今日まで、
ほんとうに待ち遠しかった。

アリス・アデールは今年79歳。
二時間弱の演奏を休憩無しだった。
途中、数回コップから水を一口含むだけ。

「フーガの技法」は未完なので、そこでぴたっと演奏は止った。
アリス・アデールの動きも止る。

だから拍手もすぐには起らなかった。
いい演奏会だった。

「フーガの技法」のあとだから、アンコールはない、と最初から思っていた。
なくていいと思っていたけれど、二曲のアンコール演奏。

バッハのゴールドベルグ変奏曲から第25変奏曲が聴けた。
アリス・アデールのバッハを、もっと聴きたい。
新たな録音は登場しないのか。

17日にも、また聴ける。
チケットはすべて売り切れている。

Date: 2月 12th, 2024
Cate: 電源

モバイルバッテリーという電源(その13)

ここに書いていることを読んで、
コンデンサー型スピーカーへの電源供給を、
モバイルバッテリーが作り出すAC電源で、という人がいるのかはなんともいえない。

数人くらいはいるかもしれない。
その中には、PowerHouse 90一台で好結果が得られたのならば、
左右のスピーカーにPowerHouse 90を一台ずつ用意すれば、
バッテリー自体も長持ちするし、音もさらに良くなるのではないか。
そんなうふに考える人もいるかもしれない。

けれど、ほんとうにPowerHouse 90一台よりも二台のほうが好結果が得られるだろうか。
PowerHouse 90は60Hzの交流を供給できるが、
複数台使用にあたって、その60Hzを同期させることはできない。

それぞれ独立した60Hzが供給されるわけで、
そのことによる影響がないとは考えにくい。
仮になかったとしても、複数台使用であれば同期していたほうが精神的には好ましい。

なので3月6日のaudio wednesdayでは、一台のPowerHouse 90からの供給のままだ。

Date: 2月 11th, 2024
Cate: 「スピーカー」論

サウンドラボ 735のこと(その2)

コンデンサー型スピーカーの動作原理を知ると、
この方式こそが、理想のスピーカーのありかたでもあるし、実現なのだ、という気がしてくる。

薄い振動膜は同容積の空気よりも軽かったりする。
その振動膜全面に駆動力が加わり、ピストニックモーションをしているわけだから、
一枚の振動膜で、ほぼ全帯域の再生が可能になる。

ウーファー、スコーカー、トゥイーターとユニットを帯域ごとに分割する必要性がない。
これまで素晴らしい変換方式は、他にないのではないか。

コンデンサー型スピーカーを知ったばかりのころ、そう受けとめていた。
それにマーク・レヴィンソンがHQDシステムの中核に、
QUADのESLをダブルスタックで採用したことも、このことに大きく影響を与えている。

やはりコンデンサー型スピーカーなのか──。
とはいえQUADのESLは3ウェイだった。
そこにハートレーのウーファーとデッカのトゥイーターを足しているのだから、
全体としては5ウェイという、そうとうに大がかりなシステムでもあった。

コンデンサー型スピーカーならばフルレンジ。
そんなふうにも考えていたところに、アクースタットのモデルが登場した。

ステレオサウンド 43号にAcoustat X、49号にMonitorが、
新製品紹介記事に登場している。

どちらも駆動アンプ搭載(管球式のOTL方式)で、
Acoustat Xは振動パネルが三枚、Monitorは四枚のモデルだった。

どちらもモデルも聴いてみたかったけれど、聴く機会はなかった。
アクースタットのコンデンサー型スピーカーを聴いたのは、
別項で何度も書いているように、
ステレオサウンド別冊「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」で取材だった。
1982年の初夏だった。

43号から五年経っていた。

Date: 2月 11th, 2024
Cate: ジャーナリズム, ステレオサウンド,

オーディオの殿堂(続・感じていること・その4)

《過去を大きな物語として語れる》人ばかりになりつつあるように感じるオーディオの世界。

過去への無知、怠慢、そして忘却が根底にあるのだろう。
でも過去への無知、忘却があるからこそ、仕事してではなく商売として成り立つのだろう。

Date: 2月 10th, 2024
Cate: 「かたち」

音の姿勢、音の姿静(その4)

「音で遊ぶ」オーディオマニアなのか、
「音と遊ぶ」オーディオマニアなのか。

そんなことを、別項にて以前書いた。
世間一般では「音で遊ぶ」人がオーディオマニアという認識かもしれないが、
私は「音と遊ぶ」人こそがオーディオマニアだと確信しているが、
だからといって、世の中のオーディオマニアのすべてが「音と遊ぶ」人ではないし、
なんとなくの感じでしかないが、「音で遊ぶ」人のほうが、
世間一般の認識と同じように、多いのではないのか。

他人の楽しみ方なんて、どうでもいいことだ。
「音で遊ぶ」人は、まわりにいなくていい。

「音で遊ぶ」人は、音の姿勢、音の姿静はどうでもいいことなのだろう。